文化庁芸術祭参加
天草黙示録 天草道成寺



作者のことば             作・演出 三隅治雄
島原の乱のリ−ダ−天草四郎の悲劇を道成寺の世界で…との構想を春日寿升さん
と語り合っててから三回稿を改めた。道成寺は、ご存知のように、ひと夜の宿を求め
た美貌の若僧に懸想した女主が、報われぬ恋に身を焦がして、おのが業火で男を焼
き殺す話である。この話を載せた平安時代の『今昔物語』は、女を悪女と記したが、
この悪女が男を鐘もろともに焼き尽くしたあと、血の涙をこぼしつつ立ち去ったとある
のが、心をせつなくする。相手を想うがゆえに身を引く…という話は美しいが、
それがめったに出来ないから、人はみな悩み、苦しむ。
 この作品に登場する尼僧の寿庵もそうであった。マリア像を聖観音としてまつる寺
の庵主である彼女が、漂着して一夜の宿を求めた美貌の若者佐太郎に恋慕する。
偶然そこへ聖者のシンボルと伝える白鳩が飛来したことで、神託でえた善か人
(天使)の来臨、それも島原の乱で善か人の化身と仰がれた天草四郎の再臨かと
幻想がふくらんで、遮二無二すがりついていく。じつは、かの天草四郎も善か人の
化身といわれ、一揆の総大将となったが、別に本人が煽動者であったわけではなく
美貌で、聡明で、気品があったのを、まわりがかつぎ上げたものらしい。かついだの
はキリシタン大名小西行長ゆかりの郷士たちであったようだが、善か人と幻覚したの
は、ものを情緒的に霊感する巫女、尼であったかと、想像する。そして、不幸なのは、
善か人にまつり上げられた四郎であり、本作品の佐太郎である。本作では、寿庵の
一方的な想いが、乱への怨みと弾圧、搾取への怒りに燃える尼、信者たちの心に火
を付けて、いっきに戦いへの謀議に展開し、佐太郎を戦火につき落とす状況になる
 道成寺なら、このあと男を道連れに共に地獄に落ち、のち法華経の功徳によって
成仏するという仏教説話として収まるのだが、こちらは、それまで女の情念に翻弄さ
れっ放しだった佐太郎が、人々の寄せる思いの中で、真実善か人天草四郎になりき
ろうと覚悟し、救世のために命を捨てる行動に出る。そこからひらけていくパライゾ
(天国)への道…別に題して「天草黙示録」としたが、この作品を寿升さんに贈った
のは、寿升さんの抜群の創作センスに、かねて注目していたからであった。
中央の邦舞界では発表の機会もなかったが、九州を基盤に、邦舞を越えて新しい
時代の民族の踊りの創造に励んでいるその活動実績はめざましく、とくに、さまざまの
ジャンルの芸能から吸収した素材を踏まえての振付けは、目を見張らせて、評者をうならせる。今回は、16、7世紀に渡来した、ポルトガル、スペインの教会音楽や舞踏、そして、島原・天草地方の民俗芸能等が当然素材となるわけだが、それを自在にこなしながら劇的表現に
たかめていく力は、彼女ならではのもので是非御期待頂きたい。
 今回音楽を引受けて下さった田中利光氏は、周知の現代作曲界の重鎮であり
、八戸の民俗墓獅子に触発された鎮魂曲「墓」などはヨ−ロッパでも賞賛をあびた。
今回の作品は、わたしなりでいえば天草の灘に生命を落とした多くの人々への鎮
魂曲であり、ぜひとも先生の作品を…とお願いして快諾を得た。嬉しい限りである。
スタッフ陣も、実績のある方々の協力をえ、充実した舞台成果を御披露できるかと、
胸をふくらませている。  
                      
                  



成功祈願の為
現地を訪れました。
   (二世 壽升)


公 演 写 真
三景 奇 端 八景 逃亡者か救世主か
十景 パライゾの道 カーテンコール


  1995年
9/17 諫早文化会館(長崎)
      9/24 鹿児島文化センター(鹿児島)
  9/30 宗像ユリックス(福岡)
      10/1 延岡総合文化センター(宮崎)
  10/3 朝日生命ホール(東京)